本堂

  • 相摸國風土記稿によれば当山は、建保年間(1213年~1219年)に鎌倉幕府二代執権 北条義時が唐より帰朝後、藤沢今田村の地に建立した瑞龍寺を起源とします。

    慶長元年(1596年)7月水害で罹災した後、鎌倉市植木の龍宝寺四世玖山宗順和尚を開山に迎え、現在地亀井野に移り寺号を曹洞宗光輝山雲昌寺と改めました。

    関東大震災で倒壊した後に、再建した本堂を昭和61年に増改築し、現在に至っています。

鐘楼堂

  • 戦争で供出された鐘の音をもう一度亀井野の地にということで、富山県高岡市の老子製作所に発注し、昭和58年10月に火入れ式を行い、昭和60年に鐘楼堂が完成しました。
  • 鐘は、総高さ1m76cm、総重量1,125Kg(300貫)です。 鐘は、平日の午前6時30分と、12月31日の除夜祭で撞かれており、その音色が地域の皆様に親しまれています。

位牌堂

  • それまでは本堂の一部の場所を占めていましたが、平成13年に位牌堂として本堂の裏手に完成しました。

北条義時の供養塔

  • 歴代住職の墓地の一角に開基・北条義時「光輝院殿瑞龍道西庵主」の供養塔があります。

山門

  • 四脚門

地蔵尊像

  • いまは写真のみ

札所

  • 相模の国準四国88箇所の札所でもあります。

    大師像の46番(圓行山青雲寺)と66番の二体が共に安置されています。

    風土記稿によれば、青雲寺は青雲寺末寺と記されており、江戸時代の雲昌寺過去帳にも記載されています。

幕府からの預り状

  • 慶安元年(1648年)、徳川幕府より寺領九石を賜る。
              覚
    御朱印頂戴之寺社之輩不依寺社領之多少、
    境内計之
    御朱印雖為所持、不残今度
    御朱印可被下旨被仰出候条、面々
    領分井支配所二有之寺社之輩、
    御朱印に写を差添、今年五月より
    七月迄之内、江戸江到持参、安藤
    右京進・松平備前守所江相達候
    様可被触候、以上、
    卯三月(一六五一)

豊臣秀吉の朱印

  • 相模国
      禁制    今田
            亀井野二ヶ所

    一 軍勢甲乙人等 濫妨狼藉の事、
    一 放火の事、
    一 寺家門前の輩に対し、非分の儀申し懸くる事、
    右の条々、堅く停止せしめおわんぬ。もし違犯の輩においては、忽ち厳科に処せられるべき者なり。

    天正十八年四月日○ 秀吉朱印